今回は静香の魅力にじっくり迫る回です。後半は有料部分となりますが、どうぞごゆっくりお楽しみください
Ⅶ、静香はなぜ私の胸を打つのか
次に考えたいのは、ヒロイン静香が、なぜこんなにも私の胸を打つのか、ということだ。
ずっと不思議だった。静香の挫折は、いわば自業自得だ。勘違いによって、他人を、恋愛を手段扱いした。その結果得た栄光など、砂上の楼閣、堕ちて当然だった。
それなのに、私は、映画を見た当初から、つまりは、そこに私を投影する以前から、汚い手を使う静香を応援していた。それはおそらく観客だけではない。登場人物皆が同じなのだ。
Ⅶ-1、偽の感動ではないのか
象徴的な場面がある。
東京公演、摩子役としての静香の初舞台。何とかやり遂げ、観客へのカーテンコール、初めは全員で、二度目は翔と静香と、三度目、翔が言う、今日だけは譲ってあげる。そして静香は一人で舞台中央に立ち、観客に向かって左手を挙げ、右手を上げ、深々と頭を下げる。幕が下りる。静かは倒れ込んでしまう。
と、舞台の袖から初めは出演者たちが、そのあとから、裏方を務めていた研究生たちが静香を何重にも囲み、静香、静香と声をそろえながら、渦のように回って静香をたたえる。
何度見ても胸が詰まる。視界が滲む。
しかし、よく考えてみると、それは、騙しの上に成り立った、偽の感動ではないのか。皆騙されているわけだから。この時点で身代わりの事実を知っているのは、静香以外、それを頼んだ翔、打ち明けられた五代、そして誰から聞いたのか、役を奪われた菊池かおりの四人だけだ。不用意に翔や五代がしゃべったとしてもあと数人。
そう、登場人物はほとんどが騙されている。
しかし、嘘だと知っている観客もまた静香の成功に胸振るわせている。砂区とも私はそうだった。
Ⅶ-2、何度見ても訪れる感動
ところが、どうだ。すでに書いたようにそのあと二十回以上、何度見てもこの場面では感動してしまう。騙されているのだとわかり切っていても。なぜだろう。
①薬師丸ひろ子自身の魅力
アイドルとしての薬師丸ひろ子の魅力、それはあるかもしれない。特に熱烈なファンなら。しかし、私は、彼女の熱烈なファンというのではなかったし、いまでもない。『Wの悲劇』の主題歌、松任谷由実の最高の名曲の一つ「Woman」が入ったベストアルバムは折に触れて聴くことはあるにしても。それでも感動する。
②薬師丸ひろ子の演技
薬師丸ひろ子の迫真の演技によって。それはあるかもしれない。記者会見の「堂本さんを愛していたんです」と涙ながらに訴えるシーンには圧倒される。芝居当日「この芝居を壊してしまうかもしれない。できません」というその切実さは、こちらの胸もひりつくほどだ。
さらには彼女の目の演技。ホテルの一室、翔の部屋。演じるの、身代わりを頼まれ、私にできるかしら、と言ったあと、できるわよ、あなた役者でしょ、違う、と迫られた時の目。濡れた輝き瞳は朦朧とし、いかにも「演技」の悪魔が取り付いた、あるいは洗脳されたという感じが見事、この点はすでに見た。
そして、公演の後、自分の身代わりに菊池かおりの刃を受け昭夫が救急車で運ばれたあと、彼の残した花束を拾った時、昭夫の真心に触れ、これまでの昭夫の全てを思い出したかのように、顔を輝かせた時の涙が一滴伝う目。洗脳が解け、真実の愛に、人間の真実に目覚めた静香をその目が表している。
しかし、だとしても、人を蹴落としてまでのことだとしたら、自業自得だ、醒めた気分になっても不思議ではない。しかしそうは考えない。少なくとも私は。何度見ても胸打たれる。
③静香の魅力
そして、この疑問を持ちながら、何度も観て、ようやく気づき始めたことがある。
経験をおろそかにし、人を手段とし、騙しによって役を得た汚い静香だが、根っこのところでの人柄の良さというか、魅力というか、それがあるからこそ、私は、騙しの上に乗ったカーテンコールにもそのあとの研究生たちの歓喜にも、素直に感動できるのではないか。
具体的に考えてみよう。
③-1、友達思い。
静香は、友達を大事にする。端的にそれが現れているのは、志方亜紀子演じる宮下公子
とのかかわりだろう。オーデションがある旨発表された後、研究生たちでの飲み会の帰り道、彼女は、駅で静香に妊娠していることを打ち明ける。相手は高校の同級生。例えばこれが摩子役を射止めることになる菊池かおりだったら公子は決して話さなかっただろう。それ以前に一緒に帰りもしなかったにちがいない。かおりは自信に満ちあまりにギラギラしている。しかし穏やかな静香には心を許せる。静香の人柄の良さ。
事実、オーデションの日、静香は、演技中股間を押さえて倒れてしまった公子に駆け寄り、救急車、と叫んで、病院についていく。産むわ、悪い性格直してやらなきゃ、といって、無念さに顔を背けて泣くベッドの公子を見守る静香。二人のやり取りが胸に迫る。
そして、その静香に、私は惹かれるのだ。
ちなみに、このエピソードは、静香の人柄を表すだけでなく、作品冒頭、ホテルで五代から、子供は大丈夫かと聞かれるシーンと対比的に呼応し、さらに身代わりを持ちかける翔が、女優を続けるために堂原の子供を下ろしたことを話す場面とも、対照をなしている。
女優をめぐる女たちの決断。その中にいて、静香は引き裂かれている。女として女優として。なかでも、友に寄り添う静香と人を利用する静香の対照は、そして後者を選ぶ進みゆきは、私の中で、静香へのいたわしさとして、意識される。本当はいい子なんだと。だからこそ、汚い手を使ってでも摩子役を射止め初舞台を成功させた静香を、研究生たちとともに讃えたくなってしまうのではないか。
③-2、菊池かおりと静香の対照
その点、オーデションで摩子役を射止めた菊池かおりは静香と好対照をなしている。
舞台稽古の後、劇団のテラスで静香とかおりが本読みをするシーンがある。かおりは当然摩子役、静香が淑枝になって。そこへ公衆電話で堂原を大阪公演に誘った翔が現れ、激励していく。その直後、静香は言う、酔ってたね。たいしてかおり、いつか追い抜いてやるわ。驚いてかおりを見つめる静香、かおりの競争心の激しさに面食らっているのだ。ここでも静香の人柄の良さが際立つ。女優のためならスターになるためなら人を人と思わないかおり。静香も同じ方向を目指しつつ、根のところでの人柄の良さがそれを許さない。いい子なんだな、やはり私はそう思う。
以下、有料となります。昭夫との関係で見える静香の人柄、シナリオの見事さを考えます。
(次回第八回は、静香の勘違いの悲劇を、近代小説『ドン・キホーテ』『ボヴァリー夫人』『罪と罰』の主人公との比較で見ていきます。)