二年生になると、少年と麻子は別々のクラスになった。少年は六組、麻子は七組だった。

 がっかりした。彼女をいつも見られないのは淋しかった。

 時折廊下で麻子とすれ違う。そのたび少年はドキリとした。

 こちらが友達と一緒の時は特に困った。どこを向いていいのかわからず、窓の向こうにひろがるテニスコートを眺めたりした。

 少年だけの時は少しは麻子を見ていられた。そんな時、麻子はいつも下を向いているばかりだった。二つに束ねた長い髪が、頬の辺りで揺れていた。

 

 木造校舎の一階にある保健室でクラスごとにインフルエンザの予防接種が行われた。

 廊下で待つ間、少年は同じクラスの石川和子と話をしていた。

 和子は麻子と同じソフト部だった。そんなこともあって、少年は彼女と話しをしていたのだった。

 浅黒い顔にクリっとした目が印象的だった。笑うと健康そうな歯が白く光った。気さくに誰とでも話し、人気があったらしい。少年はそんなことには、無頓着だった。

 注射が終わって少年が新校舎への渡り廊下を歩いていると、後ろからまた同じクラスになった西山が相変わらずの甲高い声で話しかけてきた。

「広延、和子と随分仲良く話してたな」

「ただちょっと話しただけだよ」

「心変わりしちゃアッコが泣くぜ」

「何言ってんだよ」

 と言いながら、少年の頬が火照った。まずい。案の定、

「お、赤くなったな」

 面白そうに西山は言った。教室に入ると、クラスの半分くらいの生徒がもう教室に戻っていた。

 西山は少年の後から教室に入るなり、大声で、

「なにぃ、広延は石川が好きィ」

 叫んだのだった。絶妙なタイミングだった。クラスにいた生徒が一斉に少年を見た。少年は何か言わなければと思った。

「いい加減なこと言うなよ」

 強い口調で言った。それで決着がついたと思っていたのは少年だけだった。

 少年の知らぬ間に、デマは麻子のいる隣の七組にまで広まっていた。翌日からも、西山は事あるごとに、

「なにぃ、広延は石川が好きィ」

 言いふらした。少年の立場はますますまずいものになっていった。

 

 部活の時だった。

 五月の空は水色で、刷毛で引いたような雲が流れている。富士山と箱根連山は青々と校庭を包んでいた。

 微風が汗をかいた頬に心地いい。

 バレー部のコートの隣はソフト部の練習場だった。球拾いをしている少年の足に後ろから何かがぶつかった。

 ソフトボールだった。

 拾い上げて振り返り、ボールを投げ返そうとすると、麻子と和子が五メートルほどの間隔を置いて同時にこちらにグローブを向けていた。

 麻子は眉間の辺りを少し曇らせてこちらを見ている。

 和子は笑っている。

 どちらに投げ返すべきだろう。

 今あんなデマが流れている。麻子も知っているだろう。デマの対象者と少年の本当に好きな麻子が今並んで少年からのボールを待っている。

 少年は本当に好きな人には照れくさくて何もできない自分を思った。

 いや、きっと誰だって好きな人には積極的なことは出来ないはずだ。なんでもない人には意識することなく話したりできる。

 今このボールを返すのだって同じことだ。好きな人には恥ずかしくてボールを渡すことなんてできない。

 何とも思っていないほうに返すほうが自然だ。

 一瞬のうちに少年はそう考えた。自分本位の幼い考えだったかもしれない。

 少年は考え通り、ボールを和子に投げた。

 麻子に気持ちが伝わっただろう、好きなのは麻子なんだと。

 だからその時、麻子が悲しそうに下を向いたのに少年は気づかなった。

 翌日、昼休みも終わる頃、廊下を歩いていると、後ろから聞き覚えのある女子の声が少年を呼び止めた。

 そばかす顔の圭子だった。一年の時ストーヴの前で麻子の気持ちを教えてくれた。

 麻子のことだな。

 少年は思った。

「ちょっといい」

「いいけど」

 圭子は少年を階段の踊り場まで連れて行った。

「アッコがね、悩んでんの」

「何を」

「何をって、いろいろ噂になってるでしょ」

「ああ、でも……」

「噂、嘘だよね」

「当たり前だよ」

「アッコのこと好きだよね」

 照れ臭かった。しかし今は思っていることを言わなければならない時だと少年は思った。

「うん」

「よかったァ」

「手紙書くから」

「そうしてあげて。でもよかったァ」

 そう言うと圭子は階段をかけ上がっていった。少年の頬は上気していた。

 見上げると、一階上の手すりの脇で麻子が圭子と手を取り合ってはしゃいでいるのが見えた。少年の胸も温かかった。

 麻子にいらぬ心配をかけてしまったな、と少年は思った。

 これもみんな西山のせいだ。しかしなぜかあいつは憎めない。

 それより今度のことでかえって麻子との間が少し近づいた気がした。