4、三人の関係――とりあえずのまとめ

 次に、セプティマスとレイツィアが登場する最後の場面に入る前に、ここまでのまとめをしておこう。

 その場面で私は涙したのだった。ウルフの小説を読んで初めて。その理由を探るのがこの文章の目的、ここまでのまとめをすることは、涙の理由を探るその目を研ぎ澄ますことになるだろう。

 まとめるに際しての指標となるのは、以前のダロウェイ夫人についての投稿、すでに述べたが、ラスト近く青年の死を聞いた後のクラリッサに見いだした三つだった。セプティマスが彼女にとっての分身として構想されている以上、妥当なまとめ方だろう点も述べた。

 その三つとは、大切なもの、恐怖、(青年への)共感だった。

 それらを指標にセプティマスとレイツィアについてまとめ、それらをクラリッサにとっての三つと比較してみていくことにしよう。

 ⑴恐怖

 クラリッサの時は大切にしているものがはじめに来ていたが、彼ら二人の場合は違う。恐怖が先に登場する。分身ゆえだろう。

 が、それだけではない。彼らは戦争や病、権威によって抑圧されているからでもある。 大切なものが肯定的な形では出てくる場面が少なく、恐怖から逆算して大切なものが想定できる、そうなっている。恐怖から見ていくことで大切なものも見えてくるだろう。

 では始めよう。

  ①セプティマス

 セプティマスにとって恐怖するものとは何か。

 もっとも彼を苦しめ恐怖させるものは、感覚がないということだった。頭は回る。合理的に物は考えられる。しかし何も感じない。原因ははっきりしている。戦争で最愛の人エヴァンズが死んだとき、そのショックから自分を守ろうとして、感覚を閉ざし、それがいまに続いているのだ。PTSD。その恐怖からレイツィアに求婚したのでもあった。この感覚のなさ、これが彼の第一の根本的な恐怖だ

 そこから別の恐怖がくる。

 要人の乗った車からのピストル音と紛う破裂音が聞こえた時、彼は、世界に恐怖する。なにか恐ろしいことが起こるのではないかと。

 さらに世間から非難されているのではないか、そういう恐れも彼は感じる。

 セプティマスの恐怖とは、感覚がないことへの恐怖、それと相俟って世界自体への恐怖、そして世間に排除されているという恐怖、なのだ。

  ②レイツィア

 では、レイツィアの場合はどうか。彼女の恐怖とは何か。

 まずは、夫セプティマスの病状への心配と不安、それは恐怖と言っていいだろう。彼女と会話せず一人の世界に閉じこもってぶつぶつ言うだけになってしまった夫。しかも時に自殺すると言ったりさえする。夫を愛しているがゆえに生じる恐怖だ。

 そしてそこから孤独の恐怖が来る。彼女は、彼についてイタリアから一人イギリスに来た。知り合いはいない。セプティマスは病気。頼れる人は誰もいない。そこから恐怖が生じる。自分は一人ぼっちだと。

 それどころか、周囲は、ひとりぶつぶつと何かわけのわからないことを唱えているセプティマスを見て、二人を疎んじるのではないか。そう恐れている。世間体への恐怖。

 レイツィアのかかえているのは、病の夫から来る恐怖、孤独の恐怖、世間体への恐怖とまとめることができるだろう。 

 ⑵大切なもの

 では二人にとっての大切なものとは何か。 

  ①セプティマス

 セプティマスにとってのそれは、魂の独立だった。人間性を盾に自分を責めてくるホームズ医師からレイツィアがお茶に誘われたのにもかかわらず自分には声がかからなかったとき、最初見棄てられたと感じた彼は、しかし、ひとりになってのその孤立に崇高さを感じていた。魂の独立を愛するゆえだろう。

 この点が積極的に打ち出されるのに対して、他のものは、恐怖の裏返しとして、見えてくるものだ。

 彼は、エヴァンズの死による感覚の喪失を恐怖していた。裏を返せば、エヴァンスと感覚がセプティマスにとって大切なものだった。エヴァンズを愛していたから。

 では感覚はなぜか。

 感覚によってこそ、世界を感じられるからだ。生を感じられるからだ。

 ということは、彼が大切にしているものとは、世界であり、その中での生だといえる。そして、シェイクスピアを愛する感受性豊かな彼にとっては、感覚を通して、輝かしい生の一瞬を享受していただろう。つまりは、彼にとって大切なものとは、生の一瞬だったと考えることもできる。

 まとめよう。セプティマスにとっての大切なものとは、魂の独立、エヴァンス、感覚を通しての生の一瞬の享受ということになる。

  ②レイツィア

 彼女が大切にしているものは、まず何よりもセプティマスだ。

 彼と心通わせられないことが彼女に孤立感をもたらしている。彼が大切だから。さらにイタリアから彼についてひとりイギリスに来た身として彼以外頼る人はいないから。精神を病んだ夫に、孤立の不安と恐怖を抱えながらも、必死でよりそっている。彼のような子供が欲しいと願ってもいる。

 もう一つが生の歓び。まだイタリアにいた時のこと、二人街を歩くと、レイツィアは街行く女性のファッションや身のこなしを生き生きと批評した。生の意味といったことには繋がらないにしても、そこには生の歓びがあった。しかし今イタリアからセプティマスについてロンドンに来て、セプティマスの病から彼女にそれを感じる余裕はない。

 さらに自覚的ではないにしても、医師への怒りからの魂の独立がある。

 一言でいえば、彼女にとっての大切なものは、セプティマスと生の歓び、魂の独立といえる。

 ⑶共感

 ダロウェイ夫人ことクラリッサの、青年の死を聞いての三つ目の思いは、セプティマスへの共感だった。死は他のものへの拡散だという。この時クラリッサは、ブラドショー夫人からそのことを聞かされただけ、セプティマスとは面識もなく名前も知らない。当然レイツィアのことも。

 セプティマスとレイツィアは、クラリッサの存在さえ知らない。だから彼らから彼女への共感は存在しようがない。この項目は空欄のままだ。

 しかし、語り手と読者は違う。

 では、語り手と読者には何が見えるか。

 この点は、後に考えることにしよう。

 

 ⑷クラリッサにとっての三つのこととセプティマス・レイツィアのそれらとの対応

 ①クラリッサにとっての大切なものとの関係

 クラリッサにとって大切なものとは、生の一瞬の輝きと魂の独立、この二つだった。これらについて、セプティマスとレイツィアはどう考えているか。

 ⅰ、生の一瞬の輝き。

 これはクラリッサにとって、何より大事なものといっていいだろう。生きる意味といってもいい。

 ところがセプティマスはこの点を奪われている。戦争によって、愛するエヴァンズの死に直面し、そのショックから自分を守るために、感覚を喪失することで。世界は恐怖をもたらすものとなり、生の輝きは感じられないものとなった。世界を感じられないこと、生の輝きを感じられないこと、感覚の喪失それ自体。この三つのことが、総体となって、彼に恐怖をもたらしている。つまり、クラリッサにとっての大切なものの一つ生の輝きは、彼にとって恐怖の対象となっている。

 レイツィアにとってはどうか。すでに見たように。彼女にとっては、少なくともイタリアにいたときには、生の輝きは彼女にとっても大切なものだった。それが生きる意味でもあるというような哲学的な視点はないにしても、それだからこそ、むしろ素朴にそれ自体として大切なものだったと言えるかもしれない。しかし、今の彼女にそれはない。 

 つまりここではクラリッサにとっての大切なもの、生の輝きが、セプティマスとレイツィアにとっても大切なものでありながら、むしろそれゆえに、今は奪われ、だからこそ特にセプティマスにとっては恐怖の対象になってしまっている。

 すでに触れたように、クラリッサにとってのポジティヴなものが、セプティマスにとっては感覚を失うことで、レイツィアにとってはセプティマスへの心配から、それ自体がネガティヴなものとなっている。まさに分身だ。

 ここで見逃してはならないのは、今見たように、二人にとって生の輝きが失われてしまったのは、戦争のせいということだ。セプティマスにとっては直接的に、レイツィアにとってはセプティマスの変容を通して。彼らは戦争による犠牲者、この点を語り手ははっきり見ている。

 そして、青年ことセプティマスがそういう存在であることは知らなくても、クラリッサも、ただ戦争が終わったことを喜んでいるだけではない。犠牲者への哀悼を胸に秘めてもいる。

 戦争の終結を喜びながらも、息子を亡くしたミセス・フォクスクロフトやレイディ・べクスバラのことを思いやっている(丹治 p14)。

 だとすれば、青年ことセプティマスの状況、レイツィアの恐怖を知れば、クラリッサは彼らへの共感と同情で胸が張り裂けるほど心動かし、戦争を憎んだに違いない。

 言いかえれば、語り手は、そこまでを視野に入れて、ふたりを造形したということになる。戦争批判。

 この点を押さえるなら、クラリッサのラスト近くの思いの内実を探った『ダロウェイ夫人』についての第一弾の文章で、はっきりとはわかり切れなかった部分の意味も鮮明になってくる。

 青年の死の理由を考え自分の恐怖感を述べたところ。死と時の無常、そして世間的な無。これらによる無力感という恐怖について述べたところで、夫リチャードがいてくれなかったら私も自殺しただろうと考え、それでも生きている自分、しかし青年は自殺した、それを自身の不幸、恥辱と考えるところ。

「この深い闇のなかで、こちらでひとりの男が、あちらでひとりの女が沈み、姿を消してゆくのをながめるのが、わたしに課せられた罰なのだ。……それが立派な生き方だったとはどうしても言えない。わたしは成功を望んでいた」(p330、331)。

 夫の庇護の下にいて恵まれた自身への罪悪感。この思いは、戦争によって生を狂わされたセプティマスとレイツィア二人の存在を重ねることで、よりはっきりとより痛切なものとして響いてくる。

 ⅱ、魂の独立

 クラリッサにとって、魂の独立もまた何物にも代えがたいものだった。宗教と恋愛によってそれを侵されることを憎み、隣の老婦人にそれを見て励まされもした。だからこそ、自殺した青年のことを思い、権威によって魂の独立を奪われての自殺ではなかったかと危惧もした。

 では、セプティマスとレイツィアにとって魂の独立はどういうものだったか。

 セプティマスにとってそれはやはりかけがえのないものだった。ホームズ医師が、レイツィアだけをお茶に誘ったと知った時、孤立感を覚えつつも、同時に魂の独立を感じて、彼は昂然としていた。

 レイツィアはどうか。最初の登場から、彼女は、魂の独立をかち得ていないようにみえる。セプティマスに怯え世間の眼を気にし、だから、医師にすがる。ホームズにも診察前のブラドショーにも。

 しかし、ブラドショーがセプティマスに転地療法を勧め、彼女は付き添えないといった時、頭をあげる。そんなことは受け入れられない。愛する夫に付き添えないなんて。この怒りによって彼女は魂の独立をかちとる。魂の独立が大切かどうか、そうした発想は彼女にはない。生の輝きと同じだ。そのことへの意味付けは彼女にはない。しかし、だからこそ、彼女は、そのものをそのものとして生きている。

 つまり、魂の独立という点では、セプティマスとレイツィアは、クラリッサと同じなのだ。その大切さを知り、また体現している。イコール関係としての分身になっている。

 

 ②クラリッサの恐怖するものとの関係

 クラリッサにとっての恐怖とは、死、時の無常、そして世間的な無だった。

 ⅰ、死の恐怖、時の無常の恐怖

 セプティマスは、時を恐れていない。レイツィアの、時間よ、という言葉を聞いて、時のオードを歌う。

 死については両義的だ。エヴァンズがオードに応えたように感じ、死者と向き合うことは出来ないと思いながらも、光りを見たかのように感じて、この啓示を人びとに伝えようと高揚していく。

 夫の自殺への心配と恐怖という形でレイツィアは死を恐れている。時については自覚をしていない。

 ⅱ、世間的な無

 世間的な無という点ではどうか。

 セプティマスはそれを恐れていない。むしろ世間から疎外されたのをきっかけに魂の独立を自覚し誇りに思っている。

 この点ではレイツィアが恐れを感じている。世間から変に見られるのではないかと。世間的な無ではない。むしろ、世間からの迫害を恐れている。クラリッサの恐れが自身の無価値つまり0であることであるとするなら、彼女のそれは、マイナスであることへの恐れといえるかもしれない。

 クラリッサの恐れは、世間との関係で生じる恐怖がレイツィアにはあるにせよ、セプティマスにとっては、ほとんど恐怖ではない。死だけが向き合えないと言わせただけだ。

 考えてみれば、医師ブラドショーが言うように、セプティマスは戦争で勲章をもらい、職場で前途洋々、世間的に恐れるものなどない。時についても容姿の衰えとして感じることは少ない。まだ若いということもある。が、何より、彼が男だからからかもしれない。逆に言えば、クラリッサが時と世間を恐れるのは、歳を重ねた女性だから。レイツィアが世間を恐れるのもしかり。しかし、まだ若い。時は恐れていない。語り手の眼はそこにも届いている。

 ③クラリッサの青年への共感との関係。

 この点はすでに見たように、二人の側からは起こりようがない。したがって比較のしようがない。語り手に取って、読者にとってのそれはのちに見る。