3、医師の登場
⑴ホームズ医師
人に助けを求めたいというセプティマス、彼を元気づけられなかったというレイツィア。二人の思いから医師が呼ばれる。それがホームズだった。
問題はない。一日休んでゴルフでもすれば治るでしょう。
その言葉に、レイツィアは思う。「なんて親切な、いい先生だろう!」(p163)
セプティマスにとってはしかしそれは絶望の言葉だった。
「弁解の余地はない。ものが感じられないというこの罪以外には問題はないということだから。そして人間性はその罪ゆえにぼくに死刑を宣告した」(p164)。
エヴァンズの戦死に平然とし、愛もないのに結婚した。「そんな卑劣漢にたいして人間性が下す評決は死なのだ」(p164)。
ここでも二人は反対の位置にいる。大したことはないというホームズの診断が、レイツィアには希望を与え、セプティマスには絶望をもたらしている。
再びやってきた時もホームズの見立ては変わらなかった。世界に関心を持つようにしなさい。気持ちを切り替えて。
そして次、セプティマスは診察を拒否した。医師は、レイツィアの脇を抜け、セプティマスに詰め寄る。
自殺すると言ったそうですね。外国人の奥さんにイギリス人の夫への偏見をもたらすのでは。男である以上妻に義務があるのでは。あなたは病気ではない。魅力的な奥さんに心配をかけないで。
「要するに人間性なんだ、ぼくにのしかかってくるのは」
それらの言葉へのセプティマスの思いだった。どこかへ逃げ出したい。ホームズ先生のいないところへ。
ここでセプティマスが語っている人間性とは、近代国家を前提とした健常な自立した白人男性中心の価値観でしかない。病を抱え介護されている彼は、人間性という名による抑圧に晒されている。
レイツィアの思いは真逆だ。なんて親切な先生、と。分かり合えない二人。
そしてここで我々は、セプティマスの死を、名も知らぬ青年の死として知らされた時のクラリッサを思い出そう。
私のパーティーに死を持ち込むなんて。最初反発した彼女は、しかし、身を投げた青年の意識を想像し、そこから、彼は生の一瞬の輝きという大切なものを守ったのだ、と共感する。が、そのあと、医師による威圧があったのではないかと考える何より大切な魂の自立を侵害されたのではと。。ここで彼女のいう医師とは、ホームズではなく、ブラッドショウだが(彼女はホームズの存在を知らない)、事態の一面の本質を彼女は見抜いていたのだ(p328~330)。
しかしレイツィアにはやはりセプティマスの、ホームズ先生のいないところへ行こうという言葉が理解できない。親切にしてくれるのに。本当は何より彼を病気ではないというからだろう。それに「わたしをお茶に招んでくださったわ」(p166)。
その言葉に彼はショックを受ける。自分は招待されなかった。
「じゃ、ぼくは見棄てられたのだ。全世界の人がわめき立てている。自殺しろ、われわれのために自殺しろ、と」(p167)。
議論は煩瑣にわたるようだが、ここでもまた、セプティマスとクラリッサの関係に触れないわけにはいかない。
クラリッサもまた、パーテーの準備のためにロンドンの街への買い物から帰ったところで、レイディ・ブルートンが昼食会に夫のリチャードだけを招待したことを知り、震えて立ちすくむほどの衝撃を受けたのだった。そして自分に言い聞かす。「もはや恐れるな」
書店で観たシェイクスピアの一節、恐れているからこそ。なにを。世間的に無である自分を。それが彼女の三つ目の恐怖だった。
だから、ここでのセプティマスの感情は、クラリッサの恐怖の一つと同種のものだ。世間から見捨てられた、価値を認められないという。
ここでは、二人は、等号で結ばれる。同じ方向の恐怖を持つという形での分身となる。
そしてレイツィアだけが、対照的な位置にいる。親切な方なのに。お茶に誘ってくれたのに。しかしそれはおそらく彼女が、下心を見抜けないせいだろう。世間から孤立しセプティマスとも心通わせられず怖ろしいほどの孤独にいるがために弱った心につけこまれている。だとしても、意識の上では、彼女は、セプティマス、クラリッサとは反対であることに変わりはない。
が、そのあと、セプティマスの思考は反転していく。
「だけどどうしてぼくはあんな連中のために自殺しなければならないんだ」「それに一人になってみると……そこにはある種の満足感がある。その孤立には崇高さがあふれている。社会とむすびつきのある者には知りえない自由がある」(p167)
これはクラリッサが大切にしていたものの二つ目、魂の自立がある。彼の場合は自覚しているように社会から孤立したうえでのことにしても。こうしてこの点でもクラリッサとセプティマスは、イコールとなり、そういう意味での分身でもある。
見てきたようにこの場面では、セプティマスとクラリッサはイコールになる。他者から自分だけ誘われなかったことからの世間的には無あるいは排除されているという恐怖で、さらに、何より魂の自立を大事なものとする自覚の点で。これらの点を押さえておこう。
そして、この点でもレイツィアは真逆だ。孤独を恐れ、魂の自立ととらえることは出来ず、下心丸出しのホームズの真意を見抜けないで、親切な方と感じている。が、語り手は彼女を突き放しているのではない。セプティマスに付いて彼だけを頼りにイタリアからイギリスに渡って来た。友達はいない。セプティマスのことで世間の目が気になる。セプティマスは自分の中に閉じこもったまま。孤独の恐怖と世間の眼という恐怖を抱えている彼女が安易な判断を救いととらえ、下心を親切心と思ってしまうのもやむを得ないだろう。
⑵医師ブラッドショー
そしてこの瞬間、セプティマスに啓示が現れる。エヴァンズが現れたのだ。エヴァンズ! 彼は叫ぶ。レイツィアは慄いてまたホームズ医師を呼び、権威ある医師サー・ウィリアム・ブラドショーを紹介される、経済的に余裕がおありでしたらと冷たく皮肉を言われながら。
十二時の鐘が鳴る。小説内の時間はここまでは過去だった。ここからまた、今、ロンドンの公園での続きに戻る。
二人はリージェント公園を出、一流の医院が並ぶハーリー・ストリート(p358註)を歩き、ブラドショーの家を見つけ訪れる。
医師は、セプティマスを一目見ただけで確信する。
きわめて重症だ。心身共に完全な衰弱状態。
大戦では勲功を上げ、勤め先でも将来を嘱望されているではないですかと言っても、僕は罪を犯しましたというばかり。
妻レイツィアを隣の部屋に連れて行き、安静のために田舎の療養所に行かせなさい。
私と離れてですか。問う彼女にブラドショーは言う。
「残念ながらそうです。病気の時には患者がいちばん愛している人がむしろ害となるのです」(p174)。
自殺をほのめかすのですから、それ以外選択肢はないのです。
レイツィアの期待は失望に変わる。こんな医者に質問なんかない。
セプティマスのところに戻ってそのことを告げると、彼は考える。
「いったん倒れたら……人間性がのしかかってくる。ホームズとブラドショーがのしかかってくる。……拷問が課せられる」(p176)。
彼の言う人間性とは、先にも触れたように、自立した健常な白人男性を基準とした正義、それを盾に取る権威、そうしたもののことだろう。
あなたには輝かしい前途があるのですよ。わたしに任せてください。とブラドショーは言い、ふたりを帰す
言葉こそ違え、レイツィアもその診断と処方に怒り絶望していた。
「こんな苦しみを感じたのはいままで一度も、ただの一度もなかった! 助けを求めたのに、見棄てられてしまった! わたしたちは見棄てられたのだ! サー・ウィリアム・ブラドショーはいい人じゃない」(p177)。
このあと、語り手によって、医師たちへの批判が展開される。セプティマスとレイツィアを襲ったものを語り手がどうとらえていたのかを見るために触れておこう。その事はクラリッサのセプティマスへの共感をみることにもなるだろう。
均衡と改宗。語り手はこの二つをあげる。
均衡の感覚とは、医学を学べ、優雅な趣味を楽しむ余裕を持ち、高級住宅街に家族と暮らせる者が持つ「これは狂気、これは正気、と過たずに判断する直感力」であり、「イギリス全体を繁栄させ、イギリスの狂人を隔離し、彼らが子をもうけるのを禁じ、絶望を罰し、生存不適者がおのれの見解を広めるのを不可能にする。そしてついには狂人たちは、……均衡の感覚を共有するようになる」(p179)。
つまりそれは、異常と正常の線引きをし、異常とされた者の権利を奪い、自分たちは異常なのだと認めさせる富裕層だけが持てる権力のことだ。
ここで語り手は、権力の横暴だけでなく、その階層による格差までを視野に入れている。
それだけではない。さらに改宗がある。
「柔弱な人間の意志を食らって生き、おのれの意見を刻印し押しつけることを愛し、……援助を申し出、そのじつ権力を願い、意見を異にしたり不平をいう人びとを手荒に打ちのめしておのれの通り道から排除する一方で……従順な者たちには祝福を投げあたえる」(p180)。
つまり、貧しいもの、弱いもの、狂気とされるものの力を奪い、排除し、富裕と権力の礼賛者になったものだけを支配してしまうこと、それが改宗だ。
セプティマスとレイツィアは反発する。均衡にも改宗にも乗らない。
ブラドショーの家を出た時の二人の反応は象徴的だ。
「あの車は、維持費だけでも相当なものだろうね」(p178)ここにはセプティマスの医師への皮肉と批判があり、「わたしあの人が嫌いだわ」(p183)こちらにはレイツィアのより直接的な違和と反発がある。
ここで注意すべきことがある。
まず、これらの反応にはどちらも今迄の二人にはなかったものがあるということだ。
セプティマスに関しては、ここでの言葉は、今迄の登場の中で、唯一「まともな」少なくとも「正常」と呼ばれる範囲の反応であり、皮肉と批判を述べるほど理性的なものだということだ。
レイツィアに関しても、この叫びは、それまで孤独の恐怖、世間体の恐怖から怯えてばかりいた彼女が、初めて、気持ちを立たせた、その意味では魂の独立を、少なくともその一歩を踏み出したものだということだ。
次に、これらの反応は、ここで初めて、セプティマスとレイツィアが同じ地点に立ったことを示していて、だから、このあとに共感につながる布石にもなっている。ここでは二人は同じ方向で物を見、感じている。権力への批判、支配への抵抗。萌芽的ではあるにしても。
ここで初めて、彼らは心を通わす、少なくともその素地を作ったのだ。セプティマスが理性的になり、レイツィアが恐怖から出たことで。
クラリッサとの関係でも、今迄とは違う。クラリッサも、権威による繊細なものの蹂躙を批判し、魂の独立を大切なものとしてとらえていた。彼らと同じだ。
だから、クラリッサとセプティマス、そしてレイツィアは、ここで三人ともが同じ場所に立っていることになる。三人が等号で結ばれる。その意味での分身となる。