5、最後の登場――私の中でこみ上げるものがあったのはなぜか

 ⑴交流

 セプティマスとレイツィアの次の、そして最後の登場、この場面が私に涙をもたらした。この文章はその理由を考えることを目的として書かれてきた。これまでの考察を踏まえ、涙の理由を追っていこう。

 二人の登場は、クラリッサの夫リチャードを中心とした場面のあと、クラリッサの娘エリザベスと彼女の家庭教師、クラリッサが宗教の権化として嫌っているミス・キルマンが、ロンドンの街を歩く、その後、エリザベスが一人になってバスに乗る、そのあとのことだ。

 すでに見たように、この直前、セプティマスとレイツィアは、この小説内のリアルタイムでは初めて同じ地点に立つ。

 医師ブラドショーへの怒りと嫌悪から、はからずもレイツィアが魂の独立をかち得、一時的にせよセプティマスが富裕層の医師への批判をするほど正気を取りもどしたことで。

 が、部屋に着いてすぐに心の交流が生まれたわけではない。

 始めのうちは、公園でと同じようにすれ違っている。セプティマスがやはり自分の世界にいるからだ。

 彼は帰り道も、居間のソファに横たわっていても、陽光が生き物のように動くのを眺めている。もはや恐れるな。シェイクスピアの一節、クラリッサにとっても繰り返されたあのセリフが聞こえる。彼女にとってそれは生の苦難を恐れるなという意味だった。

 対して彼は、金色の陽光のお蔭で恐れてなどいないと思う。そんなふうに彼はまた自分の世界に入ってしまっている。

 それを見つめるレイツィアは、しかし、楽しくない。耐えられないと思っている。

「こんなのは結婚生活じゃない。こんな奇妙な顔つきで、しょっちゅう怯えたり、笑ったり、何時間も押し黙ったり、そうかと思うとわたしにつかみかかって書きとめろと命令したり――夫のやることじゃない」(p248、249)。

 エヴァンズが来たとか新しい言葉が聞こえるとか言ったりする。

「でも、わたしには何も聞こえない」(p249)。

 彼女の苦しみは、勿論彼の異常な行動にある。が、それ以上に彼と心を通わせられないことからくるのだ。

 彼女はため息をつく。

 このため息からだ、二人の関係が少しずつ、だが確実に変わっていく。というより、セプティマスが変わり、レイツィアも変わる。心が通い合っていく。二人にとって、二人がこの小説に登場する場面の中で初めて。彼が彼女に目を向ける。その時の彼の慈愛に充ちた言葉を聞こう。

「彼女のため息はやさしく魅力的だ、まるで夕暮れの森の外に吹く風のようだ」(p250)。

 縫物をする彼女の小柄な体をやさしく見つめ、結婚した娘さんのために帽子をこしらえていると気づく。その娘と母親の話をしながら、さらにセプティマスは気づく。口の悪いその母親がハルにいると聞いて、

「昼間の光のなかでに縫い物をしている彼女の姿の、いったいどこが怖ろしく気持ちが悪いというのだろう」(p253)。

 その母親がいないなら怒りや予言の必要もない。逃げる必要もない。真実を求めメッセージを伝える必要もない。そしてとうとう彼は次のような境地に至る。

「奇跡も啓示も苦悩も孤独も海の底へ沈んでゆき、炎のなかへ沈んでゆき、いっさいは燃えつきる。……麦わら帽子に飾りをつけているレイツィアの姿を見つめながら、彼は一面に咲きほこる花を見たときのような落ち着いた気分になっていた」(p253)。

 レイツィアとの些細だが人間的な会話が彼をまともにしたのだ。一時的なものにしても。

 何より大事なのは、セプティマスがここで感覚をとりもどしているということだ。レイツィアのため息に夕暮れの森の外の風を感じ、一面に咲く花を見たときのような落ち着きを覚えている。

 彼にとって、感覚の喪失が、生の一瞬の輝きから自身を遠ざける最大の恐怖だった。それが、レイツィアとの些細なふれあいから、自然克服され、彼は生を享受している。世界が、生が、そしてレイツィアが、大切なものに変貌していく。

 この変化を前にレイツィアはどうか。

 その帽子は小さすぎるよ、という彼を前にして、

「ここ数日ではじめて昔のようにしゃべっているわ!」(p253)。

 まるでお猿さんの帽子だねという彼の言葉に、

「その言葉はなんと彼女を喜ばせたことか! ふたりでこんなに笑ったのは何週間ぶりだ」(p254)

 そして完成した帽子を前に彼女は思う。

「こんなにしあわせなのははじめて! 生まれてはじめてだ!」(p254)

 彼女は、これほどの幸福を感じている。セプティマスとの帽子をめぐる些細な会話に。彼が一時的にせよまともになったことで、彼女も恐怖から解放され、生の一瞬の輝きを味わっている。

 それじゃおかしいと言って、帽子の飾りを直すセプティマスはその作業を終え、

「素晴らしい。こんなにも誇らしく思えることは、これまでやったことがない。それほどの現実感、それほどの実在感をもっている」(p256)。

 この高揚は度が過ぎている。躁状態でもあるかもしれない。しかし、根はある。現実に根差している。自分が帽子の飾りを直したのだから。これまでの妄想の高揚とは違う。

 そしてレイツィア。

「そう、この帽子を見るたびにわたしは幸福を感じるだろう。これをつくったとき、あの人はいつものあの人だった。あのとき、あの人は笑った。わたしたちはふたりきりだった、なんて思い出して。ずっとこの帽子を大切に思いつづけるだろう」(p256)。

 夕刊を持ってくる女の子の登場で、一人になった彼は、しかしまた恐怖を覚え、エヴァンズの影を見る。

 レイツィアは戻ってくると、帽子の主の計画が変わったことを愚痴り、そして思う。

「わたしたち、いまはほんとうにしあわせだ、……いまはこの人になんでも言えるから。思いついたことをなんでも言えるから」(p259)。

 出会った頃のことを彼女は思い出す。セプティマスは若い鷹のようだった。でもいつも優しく、こちらの話すことを家族以上に理解してくれた。シェイクスピアを勧めた。ほんとうに力になってくれた。

「だからわたしも力になってあげられるはずよ」(p260)。

 そしてこのあと二人の心の交流は、静かだが、いや静かだからこそ、最高潮に達する。

 レイツィアは、セプティマスが帽子を気に入っているかどうかの言葉を待つ。

 彼は彼で、「小鳥のように枝から枝へと移りながらいつもどこかに止まっている彼女の心を、正確に感じるとことができた」(p260)。

 そう彼は彼女の心を感じている。そして、彼女は微笑みで応じる。心温まる美しい場面。

 ⑵破局

 しかし、このあと、心通いあった二人に破局が訪れる。

 まずセプティマスが思い出す。思い出してしまう。ブラドショーの言葉を。

 病気の時には愛する人が害になる。離れ離れにならなければなりません。

 誇り高く魂の独立を価値とする彼は反発する。

「ブラドショーはぼくにたいしてそんな権限を持っているというのか?」(p261)。

 ぼくに「しなければ」と言う権利があるのか。

 レイツィアは応える。自殺するなんて言うからだ。そして思う。

「いまだったらセプティマスになんでも話せる、ありがたいことに」(p261)。

 が、穏やかだった彼の精神が再び変調をきたし始める。

 ホームズとブラドショーがのしかかってくる。僕の書いたものなどみな燃やしてしまえ。

 レイツィアはそれらを大事に絹布で結わえて言う。

「私も一緒についていくわ……私たちの意志に反して引き離すことなんかできるはずないわ」(p262)。

 そんな彼女に彼は思う。彼女は裁判官として罰を下す男たちに勝ったと。レイツィアも書類を結わえ終え、もう一度言う。「わたしたちを引き離すなんてできないわ」(p263)。そしてセプティマスの傍らに座る。

 そこへホームズがやってくる。階下で声がした。彼女は急いで駆け降りる。

 友人としてきたんです。診ていただくわけにはいきません。その問答に、セプティマスは思う。

「この女、翼を広げておれの行く手をはばむ小さな雌鶏のようだ」(p264)と。

 しかし、ホームズは昇ってくる。自分に向ける刃物を探し、ふさわしいものがないとわかって、残るは窓だけ。投身など「面倒でいかにもメロドラマチックな行動だ」と思いつつ、もう少し待とう。

「ぼくは死にたくはない。人生はいいものだ。太陽が熱い。ただ人間というのは――いったいやつらはなにがほしいというんだろう?」(p265)

 セプティマスは、レイツィアと心通わせたセプティマスは、死にたくはなかった、生きていたかった、奪われた感覚をレイツィアに対しては取り戻し、人生はいいものだと思えたのだ。それなのに、ホームズがドアまでくる。

これをうけとるがいい! そう叫んで、彼は身を投げる。

 破局。

 それに対してホームズは、「臆病者め!」と叫んでドアを開け部屋に入り、

「こんな結果になろうとは、誰にも予想できませんでした。衝動に駆られてのことですから、どなたも悪くはないのです……。それにしてもどうしてこんなことをしたのか、わたしには想像もつきません」(p266)。

 レイツィアを哀れむ。

 その後彼女は、セプティマスとの楽しかった思い出を思い出し、肉体が「誰かの墓に撒かれた花のように浜辺一面にばらまかれている」(p267)ように感じる。

「あの人は死んじゃったの」看護する老婦人に言う。

 

 二人の登場場面はここで終わる。あとは、クラリッサの屋敷、パーティー会場で自殺した青年のこととしてブラドショー夫人からクラリッサが聞かされ、彼女の彼への共感として語られるだけだ。その内実は、ダロウェイ夫人論の第一弾で考えた。

 

 ⑶私の中にこみ上げるものがあったのはなぜか

 では、私の中でこみ上げるものがあったのはなぜか。

 ①全存在がかかった心の交流

 まず、ここでの二人の交流、特にレイツィアの思いに私は打たれる。

 彼女はどれほどセプティマスとの交流を待ち望んでいたことだろう。異郷の地にいて知り合いは、頼りになるのは彼しかいないということはもちろんあるだろう。しかしそれだけではない。それほど彼女が彼を愛しているのだ。

 その一途で健気な思いが、彼との些細な交流で繰り返し繰り返し幸福だと言い、力になってあげられるいうその言葉から伝わって胸に迫る。

 第一の理由がここにある。レイツィアの一途な愛。

 そしてまた、ここではじめて読者はまともな、といって悪ければ、感覚をとりもどし、現実に根差して精神を働かせるセプティマスに出会う。その彼は、レイツィアをいとしく思う。素敵に思う。彼のそうした心の働きに私は、本来の彼の魅力とでもいったものを感じ、心を打たれる。第二の理由。

 さらに、そうした二人が、心を通わせている様子それ自体にまた広々としていくような喜びを感じもする。そして涙する。理由の第三。

 しかし、それだけではない。

 ここには、二人の全存在がかかっている、と私はこの文章の最初で書いた。

 この点について、クラリッサとの比較を交えてまとめた直前のこと、各々にとっての大切なこと、恐怖、それらを指標にしながら考えていってみよう。

 すでに見たようにセプティマスはここで感覚を取りもどしている。レイツィアのため息をやさしい風のようだと感じ、彼女をいとおしく思っている。

 さらに、彼女への思いを自覚したこの瞬間、彼女の作った帽子のデザインを整えることに彼は、至上の達成感と現実感を感じている。軽躁の気味があるとしても、現実に根差してはいる。奪われていた生の一瞬の歓びを感じている。

 彼はこの場面で、戦争で奪われた鋭敏な感覚を取り戻して恐怖を脱し、生の一瞬の輝きという大切なものを取り戻しているのだ。

 彼にとってそれは、戦争によって被った、最愛の人を殺されるというショックへの自己防衛として生じた感覚の喪失を、一時的にせよ、克服したことにほかならない。

 感覚の喪失は、復員した彼にとって最大の恐怖でもあった。そのことによって生の一瞬の輝きは感じ取れない、生きていること自体の歓びも感じ取れない。生きながら死んでいるのも同然だった。

 さらにそれは、幻覚や幻想といった精神的障害の原因であり、結果でもあった。それがクラリッサとの交流も奪っていた。

 それだけの傷である感覚の喪失を取り戻したことは、だから、生の歓びを、生の一瞬の輝きを、障害に支配されていた生を、他者との交流を取り戻したことであり、言いかえれば、生きる意味を、少なくともその極めて重要な部分をとりもどしたということであるだろう。

 失った感覚の復活は、彼に全人生、全存在をとりもどさせることだったのだ。

 レイツィアはどうだろう。

 セプティマスの状態、そのことからくる意思疎通のなさによる孤独、世間体、その三つが彼女の恐怖だった。彼女にとってそれらは最大の問題だったろう。

 イタリアからセプティマスだけを頼りに彼女はロンドンに来たのだ。他に知り合いはない。頼りにできる人もない。この時の彼女にとって親密な関係は彼との間にしかない。

 その彼、セプティマスが精神的な疾患で、わけのわからないことを言う、幻覚を見る、自殺すると言う、自分の世界に閉じこもって交流はない。

 ホームズ医師によれば、さして深刻ではない、ひどい病気というわけではない。それはそれで安心だが、しかしだとすれば逆に、なぜセプティマスはこんなふうなのか。悩みと孤独は深まるばかり。

 さらに、だとすれば、世間の目も一層気になる。病気でなければ、変人ということになるから。

 ロンドンでの彼女の生活は、恐怖に苛まれる日々であり、そしてそれがほぼすべてだった。

 だからこの場面、セプティマスの変化で、一時的にせよ、一番目と二番目の恐怖は解消された。だからこそ彼女は、今までにない幸福を感じている。何度も何度も繰り返すほどに。

 その幸福によって、彼女はもう世間の目を気にしてはいない。三番目の恐怖も消えている。そのことの描写はない。が、これほどの幸せを感じている彼女には、世間体の恐怖など眼中にないだろう。恐怖は消えた。

 それだけではない。この時を一生忘れないというほど、彼との交流に歓びを感じている。レイツィアにとってそれは、イタリアにいて彼と過ごしていた時感じていた生の一瞬の輝きと同等だろう。大切なものの復活。

 こうしてレイツィアにとっても恐怖は消え、生の一瞬の歓びが戻ってきた。

 すべてはセプティマスの態度からきている。彼とともにイタリアからロンドンに来た彼女にとって、彼は、唯一頼りにする人であり、彼女の生活の中心だった。ロンドンにいる限りは。

 その意味で、彼は彼女の生の中心であり、全存在がかかった存在だと言える。

だから、セプティマスの様態がよくなり、交流ができたことは、彼女の生の歓びそのもの、人生そのもの、いいかえれば全存在がかかったことなのだ。

 あまりに依存的だろうか。そうかもしれない。

 しかしここで確認おきたいことがある。

 今のセプティマスになら何でも話せる、幸せだと言ったあと、出会った頃を思い出し、彼は優しく、話を聞いてくれ、力になってくれたと回想した繋がりで、レイツィアは思ったのだった、「だからわたしも力になってあげられるはず」と。

 彼女は、彼に頼っているだけではない。現にロンドンに知り合いのいない中、深刻な精神的不調を抱える彼にずっと付き添ってきた。大したことはないと医師に言われて原因がわからず、孤独と恐怖に襲われながらも。そこには魂の独立がある。

 彼女は魂の独立とか生の一瞬の輝きとかそんな言葉は知らないかもしれない。少なくともそうした言葉で自分の思いや体験に名前を付けることはない。自分の行為を対象化して意味づけることはない。しかし、誰より、その事態を生きている。庶民の力強さがここにはある。

 そしてここで言った力になれるという魂の独立の下でのケアの姿勢は、実は、クラリッサにはなかったものだ。少なくとも夫リチャードとの関係では。

 恐怖に震え死んでしまいそうになる時、リチャードの存在が自分を救ってくれるとクラリッサは考え感謝した。が、しかし、恵まれたその境遇は彼女に、不幸と恥辱をも感じさせた(p330)。

 この時、彼女には、夫の力になるという発想はない。魂の独立を何より大切にする彼女だが、その自覚の下で夫に働きかけようとすることはない。自分を救ってくれた分、それを返そうという発想にはいたらない。だから、また、自分だけが昼食に招待されなかったとき、時の無常による老いと世間的な無という恐怖を感じるだけだったともいえる。

 その意味で、力になってあげるというレイツィアの言葉は、クラリッサの姿勢と対照的、彼女を凌駕している。その意味での分身。民衆の富裕層への優越といえるかもしれない。

 そしてもう一度確認しておくが、こうしたセプティマスとレイツィアの変化は、レイツィアにとってはブラドショー医師によって転地療養を勧められ、愛している人は害だから付き添いできないと言われたことで見棄てられたと感じ、その反発から、あの人が嫌いだわ、と無自覚ながら魂の独立を勝ち取ったことから生まれ、セプティマスにとっては、同じ事態から、あの車は維持費だけでも相当なものだろうね、冷静な批評眼をとりもどしたことから生じている。批評眼とは、対象からの距離、言いかえれば魂の独立の一側面と言えるだろう。

 クラリッサが大切にしていたものである魂の独立を二人がかち得たことが、全存在のかかった、そしてまたそれ自体全存在がかかっている心の交流を二人にもたらしてもいたのだ。

 だから私は、ここで、大切なものとして見落としていた、一つのことを加えなければならない。セプティマスとレイツィアにとってだけではない。クラリッサにとっても。

 ほかならない、今書いた、心の交流だ。

 セプティマスとレイツィアにとって、心の交流が、どれほど大切なものであったかは、すでに述べた。これ以上繰り返すまい。

 同じことはクラリッサについても言えるのだった。二人とっての大切なものと気づいて、見えてきた。クラリッサにとっても心の交流はとても大切なものだった。この点は私の『ダロウェイ夫人』についての文章第一弾では、ラスト近く、パーティで青年の死を聞かされた後の彼女の意識を追ったから見逃していた。

 クラリッサは、パーティーをただの社交とか、見栄とか、そうとだけ思っていたわけではなかった。そういう部分もあるにしても。同一の対象に正と負の感情を抱くのが、彼女のメビウスの輪的な特徴だった。彼女はパーティについて、人と人を結びつける、大切なものとも考えていた。

 こうしてセプティマス、レイツィアにとって大切なものだった、心の交流は、クラリッサにとっても同じだったことが見えてくる。この点でも二人は、彼女の、分身だということができるだろう。

 

 ②大切なものの蹂躙

 全存在がかかったその二人の交流を、生の一瞬の輝きを、魂の独立を、踏みにじったのは二人の医師だった。

 間接的にはブラドショーが、直接的にはホームズが。

 心の交流を享受している時、二人に一点の染みのように黒い翳をもたらしたのは、セプティマスが思い出したブラドショーの言葉だった。

 愛する人が害になるのです。離れ離れにならなければいけません。

 この言葉への反発は、二人それぞれだ。

 セプティマスは、「しなければ」に怒った。何の権利があるのだ。魂の独立への侵害を彼は怒っている。

 対してレイツィアは、「離れ離れに」反発する。わたしたちに意志に反して引き離すことは出来ないわ。彼女は何より二人が別々になることに怒り、魂の独立への侵害にしても、自分ではなく二人のそれに対するものとして異を唱えている。

 セプティマスが自分の魂だけを気にかけているのに対し、レイツィアは二人を、ということは自分とともに彼のことを気にかけている。

 男の自己中心性と女の共同性とでもいったものに、語り手の眼は届いている。

 そういう違いはあるにしても、思い出されたブラドショーの言葉は、魂の独立を脅かし交流の幸福、生の一瞬の輝きを暗くする。

 しかし、二人は、勝利する。跳ね返す。レイツィアの力強い言葉に、セプティマスもそう感じる。レイツィアが全存在をかけているからだろう。この時のセプティマスは、まるで母親に庇われる幼子のようだ。病で仕方がないのかもしれないが、男の自己中心性、甘えを語り手はしっかりとらえている。しかし、幼児的な甘えだとしても、だからこそ、そこにはセプティマスの全存在を守られているという感覚が伝わってくる。

 その時、ホームズが現れる。直接的な侵害が。

 ホームズは、阻止しようとするレイツィアを、翼を広げる雌鶏のようだと思う。医師から見ても彼女は全存在をかけているとわかる。

 しかし、医師は侵入し、セプティマスは身を投げる。人生はいいものだ、と思いながらも。つまりこの時彼は、人生を肯定している。レイツィアとの心の交流ゆえだろう。それが彼をまともにした。感覚をとりもどさせた。生の価値が戻ってきた。全存在がかかった出来事だったことはすでに見た。

 ドアのところに来たホームズに、これをうけとるがいい! そう言って彼は身を投げた。

人間性という名の権威を振りかざし、つながりを輝きを魂の独立を奪おうとする者に対抵抗し、反抗しようとしたのだ。「これ」とは自身、そしてその行動。文字通り彼の全存在のことだ。彼は全存在をかけて、不当な抑圧に抗議した。病ゆえの、レイツィアのことを考えない突飛な行動だったにしても。

 ③最後のレイツィア

 そして最後のこの場面のほんとうの終わり、セプティマスの行動のあとのレイツィアには胸抉られる。

 心の交流による無上の喜びのあと、全存在をかけて彼を守ろうとした彼女の姿。しかしかなわず投身のあとの彼女の言葉、あの人は死んじゃったの、胸抉られる。

 事実を知ったとき彼女はどうなるだろう。その後どうやって生きていくというのか。

 魂の独立から全存在をかけた交流、生の歓びを感じた後、魂の独立を守った彼の投身に一人取り残された彼女、全存在をかけていただけに、その相手が突然いなくなって彼女はどうするのか。

 涙がこみ上げる。

 こうして、私は、二人の最後の登場の場面で、自身が胸を熱くした、その理由を考えてきた。

 感覚の喪失による恐怖、心の交流の耐えたことによる恐怖、それらを一時的にせよ克服して取り戻した、魂の独立、全存在をかけた心の交流、生の輝きの享受の自覚と、それらが権威によって踏みにじられる、その地獄から天国へ、再び地獄へとでもいった事態と思いの推移によって、私は、胸を熱くし、視界を揺らしたのだと思う。