喫茶店を憩いの場にしながらようやく提出した卒論の口頭試問、それは僕にとって人生最悪の日だった。

👉第一回:小説 喫茶店の話 #1 新しい店と僕 | 芸術をめぐって

👉第二回:小説 喫茶店の話 #2 女の子     | 芸術をめぐって

👉第三回: 小説 喫茶店の話   第三回 ママの指 | 芸術をめぐって

  (四)壊れた夢

 最悪の日だった。

十二月の下旬、何とか書き上げた卒論を提出し、二月のその日口頭試問が行われた。

試問が終わってキャンパスを歩いていると、同級生たちに出会った。

「どうだった」

 そこここでかわされているのと同じ言葉が彼らからも発せられた。

「まあまあってとこかな」

 当たり障りのないこたえをしながら、僕は自分の頬が引きつっているのを感じていた。それ以上彼らと話をしたくなかった。

 僕は足早にキャンパスを出、下宿に向かう電車に乗った。

 昼下がりの電車は、窓から差し込む陽とスチームでムッとしていた。

 頭の中はショックと暑さでボォとし、前の席に座った人の顔や窓外の景色は目の前を通り過ぎていくだけだった。

 電車を降りると、陽が眩しいほどだった。二月の冷えた空気が僕を包んだ。その冷たさが熱を帯びたような頭に心地よかった。少しは冷静になれた。

僕はそのまま例の喫茶店に向かった。

 木のきしむ音を聞きながら階段を昇り、ドアを開けた。カウベルはいつものように軽やかな音を立てる。

店には、ウェイターとママがいるだけだった。今日は一人で窓際の席にに座りたくなかった。

誰かに、というよりママに今日の話を聞いてほしかった。初めてカウンターに座った。

「ブレンド」

 小さな声で言い、煙草に火を付けた。

 この何か月かでかなり「行きつけの喫茶店」という気がしていたが、どうやって話したらいいのかわからなかった。

「どうぞ」

 ブレンドが出されても、小さく、

「どうも」

 首を掬寝るように言っただけだった。

 口火を切ってくれたのはママだった。

 僕の「異変」に気づいたのだろうか。

「いい天気ですね」

「ええ……でも僕は暗いですよ」

 不思議なほどすんなりと自分のことが話せそうだった。

「そういえばなんか元気ないみたいですね」

「今日ね、大学で卒論の口頭試問があったんですよ」

「やっぱり学生さんだったんですか。じゃ、今年で卒業」

「ええ、まぁ卒業は出来ると思うんですけどね……ただね……」

「ただ」

「ぼろくそでした」

「ぼろくそ」

「開口一番、この卒論じゃ院は無理だって。単位は上げるけど、今まで読んだ卒論の中でも、僕のは最低クラスだそうです。頑張ったつもりなんですけどね」

「大学院行くおつもりだったんですか」

「ええ、それで卒論にかけてたんですけどね。就職活動全然しなかったし」

「でも大学出てれば、今からだって、遅くても来年には就職できますよ」

「まぁ、それはそうかもしれませんけどね、ただね、大学院行くってのは、僕の夢っていうか、目標への第一歩だったんですよ。それがね、こんな形でダメになるとはね」

「何なさりたかったんですか」

 ママさんのような人に、哲学を伝えたかったんです。そんな言葉が脳裏をよぎった。

 しかしその言葉は、僕をより一層悲しくさせるだけだった。

「とにかくね、僕の夢がね、壊れたんです」

「夢……が壊れた」

 ウェイターは黙ってコーヒーカップを拭いている。

「夢……ね」

 ママはもう一度そう言って、遠い目で、誰もいないテーブル席の窓の向こうを見つめた。

その目が少し潤んでいる気がした。