夏、卒論を書きながら新しくできた喫茶店に立ち寄った僕は、ママの娘マミとささやかな交流を持ったりしながら、秋、さらに足しげく店に通います。
👉第一回はこちら:小説 喫茶店の話 #1 新しい店と僕 | 芸術をめぐって
👉第二回はこちら:小説 喫茶店の話 #2 女の子 | 芸術をめぐって
(三)ママ
秋も深まり、僕の卒論も進展を見せていた。
秋晴れの思いっきり伸びをしたくなるような日曜日だった。部屋の窓に切り取られた空は、どこまでも青く高い。
僕は少しばかり早起きして(といっても九時頃だが)、例の喫茶店へモーニングを食べに行った。
店はいつになく混んでいた。
窓から差し込む陽の光の中を、煙草の煙が緩やかに漂っている。
たまたま空いていたいつもの席に腰を下ろして、僕はモーニングを頼んだ。
向かいの席には、三十過ぎの派手な女の人が二人向かい合って座っていた。
店にはママとウェイターしかいないようだった。忙しい中二人であたふたしているようにみえた。
事実、僕の頼んだモーニングは、一向に出てこない。
そればかりでなく、横のテーブルにはしばらく前に帰った客の皿とカップが、まだそのまま置かれいてた。
後から入ってきた客が、そこに座っていいものかどうか、迷っているという有様だった。
と、向かいの女の人たちが、見るに見かねたというふうに、そのテーブルの皿やカップをカウンターに持っていき始めた。
僕は少なからず驚いた。そんな光景は見たことがなかった。
すぐそばの席に座って、煙草などくゆらせているのが申し訳ない気がした。
思わず席を立ち、彼女たちに交じって、コップを運ぼうとした。ママが慌ててやってきて、
まず僕に、
「どうもすいません。やりますから。お座りになっててください」
と言う。そのあと二人の女の人に向かって、
「ごめんねぇ」
その言葉で僕はやっと理解した。彼女たちは、ママの友達だったのだ。
運ぼうとしたコップを持ったままの僕は行き場を失った。彼女たちがママの友達なら、僕はいったいママの何なのだ。
もちろん非難されるようなことをしたわけではない。けれど、何とおせっかいなことだろう。
現に他の客たちは、立ち尽くす僕の方を笑いを浮かべ珍し気にチラチラ見ながらコーヒーかなんかを口に運んでいる。
ママの
「どうぞ座ってらしてください」
という言葉に、我に返った僕は、慌てて持っていたコップを彼女に手渡した。
その時、彼女の指に僕の指が触れた。水に濡れて冷たかった。
「ごめんなさい」
彼女が言った。
そのままそこに立っているわけにもいかず、僕は自分の席に戻った。
何だか、他の客がみんなこちらを見ている気がして、僕は窓の外を眺めていた。
向かいに座っていたママの友達二人が戻ってきて、
「どうも」
と僕に言った。僕は小さく、
「いえ」
と首をすくめるようにしただけだった。
しばらくして、ママがモーニングを運んできた。
僕は、どうしていいかわからず、知らぬ間に憮然とした表情になっていた、と思う。
ママはトーストの乗った皿とコーヒーカップを僕のテーブルに置くと、
「さっきはどうもすみませんでした」
と言った。僕はまた小さな声で、
「いえ」
というのが精一杯だった。その上ママが、
「この間の方ですね」
と言う。
「マミがお世話になりまして」
などと言う。僕はもう、開き直るしかなかった。他の客の視線などどうでもいいではないか。
「元気ですか、マミちゃん」
「ええ」
「お忙しそうですね」
「おかげさまで。本当に、いつもありがとうございます」
「ここの焼きそばセット、安くておいしいですから」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」
そういうとママは、女の人たちの方へ向き、
「悪いわねぇ、手伝わせたりしちゃって」
「商売繁盛で結構じゃない」
「ほんと。店にいた頃よりきれいになったみたい」
「そう? うれしい。それじゃまた後でね」
そう言うと、もう一度僕の方へ向き直り、
「ごゆっくりどうぞ」
と言って、足早にカウンターの方へ戻っていった。
「マユミ、ほんと、なんか生き生きしてるよね」
派手な二人連れの一方が、もう一方に話しかけた。思わず耳をそばだてた。
「そりゃそうよ、水商売で苦労して夢かなってこんな素敵な店持てたんだもの」
「あんなことあったのに、マミちゃんかかえて一人でよく頑張ったよね。ヤスユキさんも今じゃ後悔してるんじゃない」
「でもまあ、男と女のことは、はたからはわかんないから。そういや、あなたこそどうなの、例の人」
もう聞くのはよそう。
僕は、トーストを食べながら、窓の外を眺めた。駅の切符売り場は、リュックを背負った親子連れで賑わっている。
「ありがとうございましたぁ」
カウベルに重なってママの優しい声が店内に響いた。