1984年の夏、駅前の喫茶店で始まった静かな記憶。哲学と日常の狭間で揺れた心が、ある出会いを通して少しずつ動き出す――読後に静かな余韻が残る短編小説です。
(駅前の手狭な本屋、店内での喫煙、ベビーホテルなど現代では見られない光景、名称も含まれています)
(一)新しい店
大学四年の夏、その店は開店した。
駅前の手狭な本屋の二階にある小さな店だった。
白い壁に木枠の窓。
ある日の夕方、卒業論文の準備に疲れて図書館から帰った僕は、いつものように踏切脇のその本屋に立ち寄った。
暑苦しい西陽をさけて、店先で週刊誌を手にしながらふと見ると、昨日まで閉まったままだった左手半間のシャッターが開いていて、上へと続く階段がのぞいている。本屋と同じ棟の階段だった。
階段の昇り口の白地に青の看板で喫茶店と知れた。
僕は雑誌を返し財布の中に数枚の千円札を確かめると、その階段を昇った。
白い壁に囲まれた黒光りのする木の階段は、狭くて急だった。一段昇るたびに、木の軋む音がした。
店のある右手はガラス張りで、四つほどのテーブルが窮屈そうに並んでいる。
昇りきると、正面に上半分ガラスの木の扉があり、その向こうはカウンターだった。客は誰もいない。
ガラスの向こうのカウンターの中から、ウェイターだろう、さらさら髪の若い男が、僕の顔を見つめてにっこりと微笑んでいた。
扉を押すと、小さなカウベルが軽やかな音をたてた。
気持ちのいい冷気がからだを包む。
「いらっしゃいませ」
待ち構えていた男の声に、若くはないが感じのいい女の声が重なって店内に響いた。
僕はカウンターから一番遠い窓際の席に座った。
煙草を吸うと、煙が頭にきた。腹が減っていたのだ。
アイスティーとデザート付きの焼きそばセットを注文しようと顔を上げると、ママがこちらに近づいてくる。
僕はその時初めて彼女をまじまじと見た。
なぜか安堵感のようなものが胸に広がった。
彼女は声から感じられたとおり、三十代半ばというところだった。
化粧は濃かったが、どこかあか抜けないところがあった。
楕円の輪郭の中、頬がほんのりと赤いからだろう。
それが、垂れ気味の目と相俟って、安堵感を起こさせたのかもしれない。
僕は出された焼きそばセットとデザートを一心に食べ、アイスティーを飲んだ。
煙草を吸おうとライターに火を付けると、炎の向こうに人影が立っていた。ママだった。
「これからもごひいきにお願いします」
彼女は優しいが媚のない声で言った。僕は、
「どうも……」
とか何とか応えただけだった。
アイスティーを飲みほすと、店を出た。
ありがとうございました、という実に丁寧だが親しみやすい彼女の顔と声を思い出しながら。
僕はこの夏、就職活動といったものを一切せず、ただ一心に卒論に取り組むつもりでいた。
というのも僕は進路を大学院一本に絞っていたからだ。
卒論のテーマは「ヘーゲルの歴史観」だった。専攻は哲学だったわけだ。
高校の頃から「倫理・社会」が好きだった。
どう生きるべきかなどという事を、それなりに真剣に考えていた。
教科書に断片的に引用されていたキルケゴールの言葉、
「私にとって客観的真理などどうでもいい。それよって生き、それによって死ぬ主体的真理こそが問題なのだ」
に胸をときめかせた。
大学では実存主義を勉強したいと思っていた。
大学に入って彼の著作を読んでみたりしたが、どう生きるべきかの答えはそう簡単に得られるものではなかった。
そのうち僕は、自分が考えたり感じたりする事の善悪を自分自身の「実存」という得体の知れぬものを基準にして判断することに疲れていった。
サークルにも入らず、クラスの連中とも付き合わず、ただ本だけを読んでいる事にも虚しさを感じ始めていた。
そんな時、クラスの数少ない知人から誘われて顔を出したのが哲学研究会だった。
そこで学ぶヘーゲル、マルクスは新鮮で刺激的だった。
真理や善悪の基準を、自分の内なる「実存」にだけ求めて一歩も外へ出ず堂々巡りしていた僕にとって、人間は人間の外側にある、自然や社会、その歴史に規定されもするという考えは、僕をほとんど「解放」した。
卒論ではマルクスを取り上げたいと思ったが、担当の教授から「マルクスは卒論では無理だよ」という一言であっさり取り下げ、ヘーゲルの、彼の著作では比較的優しい「歴史哲学」を考えることにしたのだった。
大学院に行って、ヘーゲルの他の著作、さらにはマルクスも視野に入れる、それが自分の方針だった。
そして将来は、自分が興味を持ち目を見開かされた様々な哲学を多くの人に紹介する、そんなことを生業にできたらいいと思っていた。
そんなわけで僕は大学院に進路を絞っていた。大学院の試験には直接は関係してこないが、水準以上の卒論を書いておかなければならない。
卒論について考えるのを口実に、僕はチョクチョクその喫茶店に通うようになった。