(ネタバレを前提として書いています。まだ観ていない方で、内容を知りたくない方は、ご自身の判断で、先を読むかどうか、お考え下さい)

はじめに

 映画『Wの悲劇』。澤井信一郎監督、荒井晴彦・澤井信一郎脚本、薬師丸ひろ子主演、1984年の名作映画をご存知だろうか。

 私は、ロードショウの時、大学生、オールナイトで観、以来四十年、折に触れ最初のころはビデオで、いつからかDVDで観返し、少なく見積もっても二十回は観てきた。

 単純に計算すれば二年に一度。それでもほぼ毎回感動する。胸に迫って涙が滲む。

 青春の思い出だ。バイアスはあるだろう。しかしそれに還元しえない感動がある、と思える。

 現に例えば宅配レンタルDVDゲオで『Wの悲劇』はなかなか借りられない。貸し出し中であることが多い。今でも人気のある証だろう。

 やはり感動があるのだ。その依って来るところを考える、それがこの文章の目的である。

Ⅰ、映画版『Wの悲劇』とシナリオ『Wの悲劇』、真逆のラスト

 この作品の感動の根拠を考えるのに先立って、映画版とシナリオ版でラストが真逆なのを御存知だろうか。

 ウィキペディアを見れば書かれている。シナリオとの他の異同も含めて。

 ここではさらに具体的に見てみようと思う。この作品の感動の根拠を考えるにあたってなにがしか参考になると思えるから。

 ここからはネタバレを含みます。知りたくない方、ご遠慮ください。

 

 Ⅰ-1、映画『Wの悲劇』あらすじ

 三田静香は劇団海の研究生、田舎の学校ではひどく内向的だった。が、来る芝居をすべて観て、自分もやってみたい、東京のこの劇団に入った。

 経験を充実させることが役者の幅を作るとスタニスラスキーの『俳優修業』から読み取り、劇団の若手スター三田村邦彦演じる五代淳とホテルに行く。処女だった。

 その帰り、朝方の公園で静香は森口昭夫と出会う。

 劇団では、スター女優羽鳥翔をヒロイン役和辻淑枝として「Wの悲劇」を上演することになり、その娘役和辻摩子が研究生の中からオーデションで選ばれることになる。

 しかし、射止めたのは、高木美保演じるライバル菊池かおり、静香は女中のチョイ役だった。

 居酒屋で慰める昭夫の部屋に行き一夜を共にする静香。しかし、結局は振ってしまう。気分で夜を共にする勝手な女を演じて。

 大阪公演が始まり、芝居の評判がいい中、翔がホテルに呼んだパトロン堂原良造が彼女の上で服上死を遂げてしまう。

 裏方の仕事をよくやってくれるからと翔からもらった小遣いのお礼にたこ焼きをノブを掛けた静香を翔は部屋に入れ、スキャンダルだ、私は失脚する、あなたの上で死んだことにしてくれ、摩子をやらせてあげると持ちかける。

 芝居のための経験と称して男を手段にしてきた静香はそれを受け入れる。私は役者、と呟いて。

 翔によって摩子役から降ろされたかおりに代わって、摩子がその役に付く。

 そして初日、何とかやり遂げ、皆の祝福を受けた静香は、しかし、舞台が終わって、報道陣が詰めかける楽屋口で、誰かから事情を知らされたかおりによって、刃物でさされそうになる。

 その時、お祝いに駆け付けていた昭夫が庇い、代わりに彼が差されてしまう。

 それから数週間後だろう、アパートを引き払った静香は、タクシーで、新しい部屋に向おうとする途中、以前昭夫に一緒に住まないかと誘われた二階建ての白い木造アパートに向う。

 そしてラスト。

 Ⅰ-2、映画『Wの悲劇』のラスト

昭夫に一緒に住まないかと誘われた白い家への路地を静香が歩いてくる。

二階のその部屋に家具など運び込まれている。

二階のその部屋に新たに入ることになった住人に

昭夫「それじゃ、これ、ここの鍵です。何か不便なことがあったら、連絡ください、どうもありがとうございます。

階段を降りる昭夫、静香に気づき、前までくる。

静香「お見舞いにも行かなくて、ごめんなさい……」

昭夫「はっきり言って、待ってたんだけどさ、あまり何日もいさせてくれるようなケガじゃなかったんだ……」

静香「借り手、ついたのね……」

昭夫「誰にも貸さないように頑張ってたんだけどね……おれ、もっといい家さがすよ、すぐ見つけるから……だから……」

静香「お願い、やり直そうなんて、言わないで……。わたし、今、ボロボロだから……あなたに、やり直そうなんて言われたら、ワッてあなたの胸に飛び込んじゃう……」

昭夫「そうしろよ、してくれよ……」

静香「したいけど、でも、できない……」

昭夫「どうして……!?」

静香「だめになっちゃう、もっとだめになっちゃう……。自分の人生、ちゃんと生きてなくちゃ、舞台の上のどんな役もちゃんと生きられないって、やっと、女優に憧れてた、ばかな女の子が解ったんだから、だから、……2人じゃなくて、1人でやり直すの……」

昭夫「芝居、やめないのか……」

静香「あなたは、自分をみつめているもう1人の自分がいやで、芝居やめたんでしょ……。わたしは……もう1人の自分って、やっかいだけど、でも、つきあっていくわ……じゃあ……」

昭夫「これが俺たちの千秋楽か!?」

静香「もう1人の自分が、泣いちゃいけないって、ここは笑った方がいいって……。じゃ……」

踵を返し去ろうとする静香。

昭夫、その背中に向かって力強く拍手を送る。

静香振り返る。涙目である。

昭夫に向き直って、スカートのすそを持ち上げカーテンコールの挨拶をする。

ストップモーション。

主題歌の前奏が始まり、クレジットタイトルが流れる。(*1)

 感動的なラストだ。

(*1)『カドカワフィルムストーリー Wの悲劇』(角川文庫 1984年)p169~183。ト書きは筆者作成、映画との微妙な違いは基本映画に合わせた。以下『フィルム』 

 では、シナリオ版を見てみよう。

Ⅰ-3、シナリオ『Wの悲劇』のラスト

  タクシーが停まり、静香、降りる

  昭夫と来た白い家である。

  タクシー戻って行く。

  静香、バッグを下ろすと、佇む。

静香「……」

と、後ろから、

「いい物件でしょ。お客さん」

振り向く。

昭夫が笑っている。

静香「……まだ、誰も借りてないのね」

昭夫「貸さなかったんですよ。お客さんが必ず、みえると思って、他の客には紹介しなか ったんです」

静香「(家を見ている)」

昭夫「(静香に)もう一度、中、ご覧になりますか。設備がひとつ増えたんですよ」

静香「見せて下さい」

二人、階段を上る。

静香「何が付いたんですか」

昭夫「亭主です」

静香「(昭夫を見る)」

昭夫「風呂付き、亭主付きです」

静香「……(微笑う)」

昭夫、ドアに鍵差し込む。

静香「……あの、女優でも貸してくれるんですか」

昭夫「(静香を見る)」

昭夫、微笑う。

静香、微笑う。

昭夫、ドア、開ける。

昭夫「どうぞ」

二人、入る。

ドアが閉まって――。

主題歌の前奏が始まり、クレジットタイトルが流れる。(*2)

いかがだろうか。映画とシナリオは真逆と言っていい。 

映画は別れ、シナリオは結婚。前者が自立で、後者は自立ではないとは言わないが。

ここまでの違いの理由はいったいどこにあるのか。(以下、次回)

 (*2)『月間 シナリオ 1985年1月号』p65。(以下『シナリオ』)。シーン番号はカットした。

(🌿次回予告)

(次回は、映画とシナリオのラストが真逆になった背景について。 角川映画からの要請、澤井監督の語り、その背景、そしてもうひとつの可能性—— 「第三のラスト」についても紹介します。

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