11、明らかになるクラリッサの意識の内実

 こうして私は、『ダロウェイ夫人』に感じた疑問、ラスト近くのクラリッサの意識のあり方の一つ一つ、すなわち大切なもの、恐怖感、青年への共感について、自分なりの解釈を得ることができた。

 大切なものとは、生の一瞬の輝きと魂の独立。

 恐怖感とは、死、老いと時の無常、世間体と無が混然となったもの。

 青年への共感とは、最初は大切なものの共有、二度目が他と一体になる契機としての死、だった。

 さらには彼女の意識の特質、あるいは人間一般の意識についても触れた。

 輻輳する意識。現在に対して突然降りかかっる思いや過去。それらは次々と意識に集まってくる。

 そしてメビウスの輪のような動き。輻輳する事柄に従って正と負に揺れてはもどる感情。

 それらを前提に、この場面での彼女の意識の流れをここでまとめておこう。

 まずクラリッサは、パーティの席上、精神科医ブラドショーの妻、レディ・ブラドショーから夫から聞かされたこととして、軍隊にいた青年の自殺のことを聞く。

 誰もいない小部屋に一人入って、彼女は、なぜ私のパーティーで死などを話題にするのかと憤る。

 しかし、どうやって青年は死んだのか。

 そう問い返した時、クラリッサの想像力は全開となり、窓から身を投げたという情報から、その時をわがことのように感じる。

 そう、ここが転換点だったのだ。彼女の想像が。この点はまたのちに考えよう。

 そのあと、クラリッサは、彼はなぜそんなことをしたのか、とさらに問う。が、直後、自分のパーティーで死を話題にしたブラッドショー夫妻に対してまだ怒ってはいる。

 にもかかわらず、このあと、彼女の意識は、青年への共感へと移っていく。青年は大切なものを守って死んだのだと。

 青年への想像が意識を変えたのだ。内容としては夫妻への怒りから青年への共感へと意識は輻輳する。感情としては死をめぐって負のそれから正のそれへというメビウスの輪的な動きをみせる。

 大切なものとは、生の一瞬の輝きであり、魂の独立であることを見てきた。日常の中で失われてしまうものとして。

 そしてさらにクラリッサは反問する。

 でも本当に青年は、大切なものを抱えて死んだのか、と。

 自分がサリーに恋し死んでもいいと思った時のようだったのか。つまり生の一瞬の輝きを抱いて死んだのかと。

 さらに、繊細の人だったらとして、医師の権威主義や男権主義に魂の独立を侵されてのことだったのではないかと考える。

 感情はまた負へと揺れる。この二つを思っていることが、クラリッサにとっての大切なものが、生の一瞬の輝きと魂の独立だとする根拠でもあった。

 そして、負へと揺れた彼女の意識は、さらに負を呼び込んでくる。

 恐怖感もある、と。それは、今朝感じたばかりのことであり、圧倒的な無力感でもあった。

 死の恐怖。老いと時の無常へのどうしようもなさ。世間体ばかり気にしながら自分は無だという無力感。これら三つをこの時の恐怖として私は取り出してきた。

 そして、この三つは絡み合っている。

 時の無常が根底にある。だからこそ、この小説『ダロウェイ夫人』は当初『時』と題される予定だったのだろう。

 時はすべてを無常とし、老いをもたらし、そのことで自分の存在を世間的に無とし、最後には死に至らせる。

 この意識にさいなまれ、それ故うずくまるような思いに囚われながら、しかし、リチャードがいてくれるから、自分は生きてこられた、生の一瞬の輝きを取り戻せたと感じる。

 しかし、そうした成功は、リチャードによっていて自立がないという点で、また富裕層として他を圧しているという点で、自身の不幸でありまた恥辱でもある。

 様々な思いが集まる、まさに輻輳する意識。そして負から正へ、正から負へと転変する、メビウスの輪的な感情の動き。

 そしてさらに、リチャードのお蔭だとしても胸にある生の一瞬の輝きを思って窓辺へと歩く。ブアトンでの若いときのように空をながめに。

 あそこには私の一部がある。クラリッサの意識の中で、死は他と一体になることという年来の考えが兆している。

 カーテンを開ける。

 隣の老婦人に驚く。

 そして空を見る。厳かだろうと思って。一度目に老婦人を見た時彼女に感じた魂の独立という荘厳さ、神秘を思っているのだ。

 しかし、違った。空は灰白色だった。新鮮な光景。

 この時、クラリッサの意識に上り始めていた、死は他と一体となること、という考えが、前景に出る。

 死はもう恐怖ではない。他と一体となることだ。

 だから、老婦人がベッドに入ることは、魅力的だ。そうした死への準備として。

 そして、青年への二度目の共感がここで起こる。

 青年は自殺した。でも憐れまない。彼はそのことで他と一体となったのだから。

 時計が打つ。時の音も他と一体となっていく。

 老婦人が明かりを消す。象徴的な死の到来。

 彼女はもう一度繰り返す。彼を憐れまない。パーティーの喧騒。その時あの言葉を思い出す。

 もはや恐れるな、灼熱の太陽を。

 死が他と一体となることなら、生にある困難はもう恐れるに足りない。

 以前からの考えではあるが、このことを心底納得した今は、異様な晩だ。発見に世界が変わったように思える。

 そして思う。自分は青年と似ている。大切なもののために死んでもいいと思い、恐怖から死を思い、そして死は他との一体化だと感じる点で。

 彼の自殺をうれしく思う。彼のお蔭で美を楽しさを感じることができたから。大切なもの、他との一体化を意識できたから。

 こうして、ここでクラリッサは、青年への全面的な共感を感じている。

 これが、一読疑問だった、ラスト近くのクラリッサの意識の、私がとらえた内実である。

 この共感の下、彼女はパーティーに戻っていく。生に戻っていく。分解を終え組み立てへと向かう。

12、クラリッサの意識の意義

 では、こうしたクラリッサの意識は、私にとって、現代にとってどのような意義を持つだろうか。

12-1、恐怖を超えた生

 現在六十五、高齢者の仲間入りを果たした私にとって、死、老い、無常、世間体、無の意識はやはり切実な問題だ。

 いつも考えているわけではない。が、何かの拍子にふと、とらわれる、苛まれる。

 孤独の中で死んでいくだろうとか、いつまで働けるだろうかとか、今のままではいずれ生活保護に頼らざるを得ないとか、いつの間に若さは過ぎたのかとか、世間的には終わった人だろうとか、大したことは出来ない人生だったとか。

 それらは、具体的な内実にこそ差はあれ、クラリッサが恐怖感を覚えていた、死、老いと無常、世間体と無の三つと、どこかで重なる。

 彼女の恐怖は人ごとではない。

 だからこそその時、ここでのクラリッサのように考えることは、私にとって大きな励ましになり、生を前向きに生きていく姿勢につながる。

 死んでも一人ではない。むしろ死んでこそ、他と一体となれる。

 老いや無常は避けられないが、生きている限り一瞬の輝きは存在し続ける、それを見つめる目を持ちさせすれば。老いと無常の中でも喜びはあり続けうる。

 世間的に見て無だとしても、人は生きている限り魂の独立を持つ限り、尊厳を持った存在であり続ける。生きていることそれ自体が神秘なのだ。

 クラリッサの意識は、そう私に語りかけてくれているように思える。

 死は恐怖ではない。老いと無常、世間体と無の中でも、今ここで生は輝き、尊厳を持ち続けると。

 その意識は、私に誇りをとりもどさせ、日々を豊かに生きることを可能にするだろう。

 私だけではない。今を生きる高齢者すべてに。いや、高齢者に限らない。

 すべての人に。

12-2、想像力から始まるケアの精神

 そしてクラリッサのケアの精神とでもいうべきものがある。現代にとって非常に重要な点、恐怖を超えることとどこかでつながっている気がする。

 クラリッサが青年の自殺を聞かされ、死を不吉なものという常識的な見方から、大切なものを守るものととらえ返す、その決定的な転換点になっていたのは、飛び降りた青年の目に、意識に、なり変わったことだった。

「思いがけずなにかの事故の話を聞かされると、いつもわたしはまず体で感じてしまう。ドレスが燃え上がり、体が焼ける感じ。

「思いがけずなにかの事故の話を聞かされると、いつもわたしはまず体で感じてしまう。ドレスが燃え上がり、体が焼ける感じ。

窓から身を投げたそうだ。地面がぱっと浮きあがってくる。鉄柵の錆びついた忍び返しが、ぶざまに転落した体に傷口をあけ、刺しつらぬく。

地面に横たわる肉体の脳の内部で、どく、どく、どく、という音が聞こえ、その後にいっさいを覆う闇が訪れる。」(丹治 p328)。

 彼女の繊細さ、たぐいまれな想像力が垣間見える。このあと、精神科医であるブラドショー氏と夫人がこんな話題を持ち出したことに憤慨しはするが、直後、自分も池に一シリングを投げだしたことがあると思い出し、

「だけどその青年はそれ以上のものを投げだした」(丹治 p328)、そのことで大切なものを守ったと共感していく。

 この転換は、彼女の、類まれな想像力からきている。

 他者を思いやり、他者の意識を想像すること。そこから共感が生まれる。

 見も知らぬ人間を信頼することなど、根拠のない、楽観でしかないのではないか。そういう意見もあるだろう。

 だが、そうか。

 そういう考え自体、科学主義にとらわれた、近代に囚われた発想なのではないか。

 クラリッサの意識を考えるにあたって引用した白石正明『ケアと編集』にこんな一節があった。

「嘘でもいいから先に「信(仮)」のカードを出すことによって、わたしとあなたの間に「信」が、少しずつ、具体的に生成してくる」(p83)

 ユニークな取り組みを続ける精神障害者の生活拠点「浦河べてるの家」のソーシャルワーカー向谷地生良さんの言葉を受けての著者の言葉だ。

 まず信頼すること、そこから本当の信頼も始まる。

 だとすればやはり青年を信頼してのクラリッサの想像力がすべての始まりだったと言えるのではないか。

 そしてそれがすでに見たように、繊細な彼が権威と男権に抑圧されたのではないかという配慮につながり、自らの恐怖感を思い出すことにもなる。

 そこからまた反転し、空と老婦人の存在から、死を他への拡散ととらえる考えの得心に至り、青年へのより広い共感につながる。

 輻輳した意識が、メビウスの輪的な起伏を伴って、新たな地平に立つ。

 この信頼こそ、他者への思いやり、すなわちケアの出発点と言えるのではないか。

 そしてそれがすでに見たように、繊細な彼が権威と男権に抑圧されたのではないかという配慮につながる。

そしてまた恐怖感を思い出すことにもなって、そこからまた反転し、空と老婦人の存在から、死を他との一体化ととらえる考えの得心にから、青年へのより広い共感に至る。

 クラリッサのケアの精神は、想像力から始まっている。

13、終わりに

 私は、クラリッサの、一見分かりにくい、ラスト近くの意識、彼女の大切なもの、恐怖感、青年への共感の内実を追ってきた。

 こうして見てくると、この小説は、クラリッサが、大切なものを感じながらも、不安や恐怖にも捉えられる、その意識をたどりながら、そうした否定的な事柄を克服していく、そういうものとして見えてくる。

 そしてその時、隣人である老婦人は、とても重要な役割を果たす。クラリッサが垣間見る存在に過ぎないのではあっても。

 一度目は愛と恐怖による魂の尊厳の蹂躙に対抗するものとして、二度目は死による他との一体化を確信させる存在として、老婦人は登場する。

 老婦人がなぜそこまでをクラリッサに感じさせるのか、その点の考察は今後の課題だろう。

 また、クラリッサにとって否定的な愛を体現する元恋人ピーター、

 宗教の大義で個を圧殺するミス・キルマン、

 何より、その死に共感を寄せられたセプティマス、

 彼らのの存在と意識を追い、それらとクラリッサを交差させて、彼女を理解することも重要な課題だ。

 それはこの小説全体の理解をより深めるに違いない。

 いずれそれらも考えることを宿題とし、この投稿ではラスト近くのクラリッサの意識の内実を明らかにできたことを確認して、この投稿を終えたい。

 最後までお付き合いくださり、本当に、ありがとうございました。